万葉の森船岡山

現在は東近江市になっている旧八日市周辺や安土の辺りに蒲生野という地名が散在します。蒲生野は大津に都があった頃、遊猟の地だったといわれるところです。蒲生野の範囲ははっきりしませんが、現在の近江八幡市から東近江市にかけての一帯かその一部であったようです。

天皇一家や侍女達が大津から船に乗り、この地で男は鹿の袋角をとり、女は薬草狩りと楽しむというレクリエーション的なところでした。

ここで大海人皇子(後の天武天皇)と額田王が相聞の歌を交わしたという話が残っています。

あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る (額田王)

紫の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆえに 我恋ひめやも (大海人皇子)

額田王はもと大海人皇子の妃であったのですが、のち彼の実の兄である天智天皇(中大兄皇子)の寵愛を受けました。この頃には天智天皇の後宮に入っており、この3者には極めて複雑な事情がありました。(つまり弟の恋人を兄が天皇という権力を笠に着て奪い取った)
この歌は、蒲生野遊猟のときに交わされたもので、人目もはばからずに袖を振って見せる大海人を額田王が咎めたのに対し、大海人が大胆にも人妻である額田王への激しい恋情を歌い返したものです。

この万葉集の代表的な相聞歌の歌碑が近江鉄道市辺駅のすぐ北方の船岡山の頂上にあります。

船岡山の万葉碑(滋賀県提供)

他の記事

スポンサーリンク







シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク