東近江市

東近江市は琵琶湖の東側、湖東地方にある市で、人口約116,000人、2005年に八日市市、神崎郡永源寺町・五個荘町、愛知郡愛東町・湖東町の1市4町が合併して誕生しました。 2006年には神崎郡能登川町・蒲生郡蒲生町も編入されて、その市域は琵琶湖沿岸から鈴鹿山脈の麓まで、滋賀県の面積の約1割近くを占める広さとなっています。

もともと名神高速道路の八日市ICあたりを境に、北は降雪の心配があるところとして認識されてきました。京都や栗東の辺りでは青空が広がっていても、竜王辺りから前方に怪しい雲が広がりはじめ、八日市インターを過ぎると吹雪に見舞われ、辺り一面は銀世界になるということも少なくありませんでした。これらの地域が合併したことで、東近江市は温暖な地域と日本海の影響を受ける地域、また鈴鹿山脈の麓の山間部という降雪地域という、気候の違いが市内にできることになったのです。

名神高速道路に沿って市内の見どころのいくつかを紹介したいと思いますが、範囲が広いため、個々の説明は別のページで紹介します。

瓶割山

はるか左向こう小高い山が見えますが、近江八幡市と東近江市の境にある瓶割(かめわり)山です。
別名長光寺山ともいい、戦国時代に長光寺城というお城があった山です。

織田信長の命で、長光寺城の守備にあたっていた柴田勝家が、佐々木六角義賢(承禎)に攻め込まれた時のお話です。
元亀元年、六角義賢に囲まれた長光寺城は水不足のために落城寸前でした。城の守りにあたっていた柴田勝家が城内の飲料水を調べさせると、わずか水瓶3つ分しか残っていませんでした。勝家は水瓶を庭に据え、城兵全員にその水を飲ませ、水瓶が空になると全員に討ち死に覚悟で城を出て戦う事を告げました。そして討ち死に覚悟の上は、これ以上水は必要ないとばかりに、太刀で水瓶を打ち割り馬に飛び乗りました。
これに奮い立った城兵は、城門を開いて山も崩れんばかりの鬨(とき)の声をあげ、敵陣に真一文字に突っ込み、瞬く間に群がる敵を打ち破りました。

戦国武将、柴田勝家の武勇を伝えるエピソードのひとつですが、これ以降世の人は柴田勝家のことを「瓶割柴田」と呼び、長光寺城のあったあの山を瓶割山と呼ぶようになったのです。

日野川

東近江市に入るとすぐに日野川を渡ります。鈴鹿山脈のひとつ、綿向山から流れ琵琶湖に注ぐ46キロの長さの川です。琵琶湖に入る一帯の浜がマイアミ水泳場 です。
上流は日野町となっており、蒲生氏郷の祖父定秀が築城した日野城があったところです。(日野町と蒲生氏郷について

あかね古墳公園

日野川を渡ってから間もなくで右手に「あかね古墳公園」が見えてきます。円墳と方墳のふたつの古墳が高速道路すぐ横に並んでいます。(詳細案内

万葉の森船岡山

高速道路からは見えませんが、左手(北)奥、近江鉄道八日市線の市辺駅の北に万葉の森船岡山があります。
蒲生野遊猟のときに交わされた額田王と大海人皇子の相聞歌の歌碑が頂上に立てたれています。(詳細案内

八日市

聖徳太子が大阪四天王寺の瓦を八日市で焼いたとき、箕作山の麓、筏川の北に百戸を休ませ、その人にはじめて八日に市を開かせたました。これを「小脇の八日市」といっていましたが、いつのまにか小脇の名が忘れられ八日市のみが残ったという話があります。

またもう一説には、蒲生郡金屋村に住んでいた野矢孫衛門光信という人が、安土の観音寺山の麓、桑実寺の薬師如来に祈願をこめていました。天文23年9月8日、満願の夜のこと、長い疲れが出たのかうとうとと夢心地になっていると、光の中に観世音菩薩が現れ、「おまえの熱心さに感じ、如来のご分身を授けよう」と告げられました。ふと夢からさめた光信は感激し、本堂を出ようとすると急に背に重みを感じ、振り返ると薬師如来がよりかかっていました。光信は有り難く、金屋の村まで背負って帰りましたが、途中如来の重さが増して動けなくなってしまい、やむなくその場にお祀りしました。この薬師如来の評判が広まり、金屋の村は非常に賑わったということです。
9月8日が如来出現の日だというので、毎月8の日に市が立つようになり、八日市の名が付いたという話です。

近くには桑実寺や瓦屋寺、太郎坊宮、石塔寺などがあります。

また八日市には毎年5月の最終日曜日に百畳敷きの大凧を愛知川の河川敷で揚げるイベントがあります。江戸中期に男子出生を祝って5月の節句に鯉のぼりと同じように揚げられたのがはじまりとされ、村ごとに競い合って凧を大きくしていきました。明治15年(1882)には240畳敷きという大凧が揚げられた記録があります。毎年揚げられる100畳敷大凧は、縦13メートル・横12メートル、重さ約700キロ。約100人で長さ約400m、直径2cmの綱を引いて揚げます。
(実は八日市は風が弱く、なかなか凧があがらないという噂もあるようです)

滋賀県提供

太郎坊宮(阿賀神社)

八日市インターの辺りから左真横を見ると、中腹に建物が見える標高350mの赤神山があります。

滋賀県提供

太郎坊さんの名前で知られ、約1400年前に創始されたと言い伝えられています。勝運・厄除・開運・商売繁盛に御利益があり、天照皇大神の第一皇子神、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさ かあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)を祀っています。

滋賀県提供

本殿は麓から鳥居のトンネルが続く約700mの石段を登ったところにあり、途中には願かけ殿や岩で刻んだ七福神があります。本殿の周りには岩座と呼ばれる巨岩、怪石が散在していますが、特に本殿前にある夫婦岩という2つの巨岩は、この間を嘘つきな人が通ると岩に挟まれてしまうとう伝説があります。

滋賀県提供

太郎坊は社殿を守る天狗のことで、弟の次郎坊とともに修験道の祖、役行者の弟子です。次郎坊は鞍馬天狗のことで、その兄貴が太郎坊。
声が大きく、湖の向こう岸まで届いたとか。晩年京都の愛宕山に住み、そこから投げた石が、俗に「飛来石」と呼ばれ、太郎坊大権現社のすぐそばにあります。

愛知川

読み方はえちがわ。八日市インターを過ぎて間もなくで渡ります。
鈴鹿山脈の御池岳に源を発し、琵琶湖に注ぐ48キロの流れで、野洲川とともに湖東平野の代表的な流れです。

上流は音無川と呼ばれ、ここ(名神)から8キロの所に紅葉の名所、臨済宗の永源寺があります。(永源寺について

永源寺から更に10キロ奥に参りますと、政所というお茶の産地があります。寂室禅師の高弟、越渓和尚が中国から持ち帰ったというお茶が起源で、茶摘み唄に「宇治は茶所、茶は政所・・・」と歌われ、宇治と並ぶ茶処としてかつては全国的に知られていました。

政所から更に奥へ行くと八風峠を越えて伊勢への道になりますが、その途中蛭谷には全国の木地師の総元締めの神社である筒井神社があります。(流域とは離れています)

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