彦根IC~米原JCT周辺

名神高速道路の上り線の旅、滋賀県もそろそろ終盤に迫ってきました。ここでは彦根ICを過ぎてから、岐阜県境までを紹介します。ただし伊吹山に関しては次回に別の記事で紹介させていただきます。

佐和山城

名神高速道路彦根ICのすぐ近くに佐和山があります。彦根市の項でご紹介した方がよかったかもしれませんが、こちらで触れてみたいと思います。

佐和山は石田三成の居城の跡で、遺跡は何も無く、ただ中腹に石田群霊碑が木陰に寂しく立っているのにすぎません。

「三成に過ぎたるものが2つあり、島の左近と佐和山の城」とうたわれたように、立派なお城を築きましたが、関ヶ原の合戦の時、家康軍は佐和山城を攻撃し、その時三成の留守を守っていた父・正継、兄・正澄ら、男女2000人はけなげにも2日間よく奮戦しましたが、ついに力尽き落城しました。

この時、女や子供達が大手側の断崖から身を投げましたが、死にきれず、うめき声が三日三晩にわたって続いたと言われ、世にこれを「女郎谷の惨劇」と呼んだそうです。

佐和山城跡 (滋賀県提供画像)

佐和山

鳥居本

彦根トンネルの手前左辺りが鳥居本です。中山道の旧宿場町で、多賀大社の鳥居があったことから起こった地名です。

文久年間、戸数259、うち旅籠35戸という繁盛ぶりで、本陣の寺村家などは200畳敷間を持つという大きな建物でしたが、脇本陣とともに今は跡形もなく取り壊されています。

この宿場の名物は神教丸、俗に鳥居本赤玉と呼ばれた腹薬で、その本家の有川家が今も製造を続けています。また鳥居本は合羽の産地として知られ、全国の8割を産出していたそうですが、現在は生産しておらず、昔のままに看板だけ出して当時の面影を伝えています。

赤玉神教丸の有川家 (滋賀県提供画像)

鳥居本 雨合羽の看板 (滋賀県提供画像)

フジテック エレベーター研究塔

彦根トンネルの手前、鳥居本の辺りから前方左に細長い塔が見えますが、フジテックビッグウィング(フジテック本社)にあるエレベーター研究塔です。

フジテックは2006年に大阪府茨木市からここに本社を移転しました。エレベーターで国内シェア4位、エスカレーター5位のフジテックは、主にエレベーターをここで、エスカレーターを兵庫県豊岡市で生産しています。

エレベーター研究塔は高さ170mで、エレベータの研究施設としては世界最大級の高さと規模を誇ります。超高層用と中層用の2つのタワーから成り、13台のエレベータが設置されてます。

琵琶湖から見たエレベーター研究塔 (画像提供:滋賀県)

磨針峠(すりはりとうげ)

彦根トンネルと米原トンネルの間、左の山の中に磨針峠があります。昔ある若者が修行半ばで自分の才能をあきらめ、帰国の途中、その磨針峠を通りかかると老人が石で斧を研いでおり、しばらく見ていたがいっこうに研ぐのをやめないので、何をしているのかと聞くと、斧を磨り減らして針にするつもりだと答えました。若者は自分の根性の無さを恥じて、再び修学の道へ引き返したということです。磨針峠の名はこの故事から生まれたもので、若者は弘法大師だったといわれています。

旧中山道 磨針峠 (画像提供:滋賀県)

弘法大師が記念に杉の木を植えて神霊を祀ったのが、磨針大明神で、お手植えの杉という大木が境内に立っています。

この間に彦根トンネルと米原トンネルの2つのトンネルをくぐります。
米原トンネルを抜けると彦根市から米原市に変わります。

番場の宿と蓮華寺

米原トンネルを出ると正面に伊吹山が見えますが、その頃最初に道路左に見えてくる細長い集落が旧中山道の番場宿です。(集落の辺りは防音壁で見えないため、トンネルを出て少しの頃、手前からしか確認できません。)

長谷川伸の小説「瞼の母」で知られている番場の宿は、上で紹介した磨針峠に当時、山賊の住処があり、日暮れともなると道行く人々を悩ませていたところから、夜は磨針峠を越えることを禁止しました。人々は夕暮れになると皆番場の宿に泊まったそうで、そのため段々と栄えたそうです。

旧中山道番場宿 (画像提供:滋賀県)

近くには「忠太郎」ゆかりの蓮華寺があり、本堂裏手の山中に「番場忠太郎の墓」もあります。先年芸能人の寄進で「忠太郎地蔵尊」ができました。蓮華寺は聖徳太子の建立と伝えられ、元は法隆寺と呼ばれたそうですが、建治2年(1276)に雷火で焼失し、鎌倉時代に再建され、蓮華寺と改称されました。(一向上人により再興)

また元弘3年5月(1333)、後醍醐天皇が鎌倉幕府打倒の兵を挙げましたが、京都の北条幕府の本拠地、六波羅も攻撃を受けました。戦い敗れた六波羅探題の北条仲時は鎌倉へ逃げ帰ろうとして、ここ番場宿まで参りましたが、行く手を佐々木道誉らに妨げられ、手兵432人とともに、このお寺で自刃しました。自害した432人の遺体は境内の裏山に葬られ、大小様々の五輪塔が寄り添うように並んでいます。

蓮華寺の北条仲時一行432名の墓 (画像提供:滋賀県)

  • 「瞼の母」・・・長谷川伸の小説。幼くして番場宿で母と別れた忠太郎が、実はやくざに落ちたが孝行をと百両貯めて遂に母と再会するが、母は妹の縁談を気遣い他人のフリをする。悲しみの中で忠太郎は旅に出る。忠太郎は実在の人物ではない。作者の実体験に基づいた母とこの愛情を描いた名作。

米原ジャンクション

北陸自動車道との分岐点です。名神高速道路から分岐し、新潟中央JCTまで476.5キロ。国内高速道路3位の長さで、米原から新潟方向が下り線となっています。

他の記事

スポンサーリンク