勧修寺

京都南ICを過ぎ、深草バス停のあたりから、東山三十六峰の南の端を超えてゆきます。この丘陵を越えると京都市山科区に入ります。

下り坂が終わりになる辺りの高速道路沿い、右側に勧修寺というお寺があります。防音壁が低かった頃はお寺の屋根が見えていたのですが、今は何も見えません。

勧修寺のお寺の正式な読み方は「かじゅうじ」といいます。ただし、地名の勧修寺は「かんしゅうじ」と呼びます。

真言宗山階派の本山で、醍醐天皇の勅願寺です。900年(昌泰3)に醍醐天皇が、この地の出身であった生母藤原胤子追善のために創建されました。

応仁・文明の大乱で戦火を受け、豊臣秀吉の時代には、伏見城築城のために開かれた道路で、境内を縮められることもありましたが、徳川時代に入り、寺領も安堵され、復興されました。代々法親王が入寺、門跡寺院として格式を誇ったお寺です。

参道の両側には、白壁の築地塀が続き、門跡寺院の格式を表わしています。

宸殿、書院(重文)は明正天皇の旧御殿を賜り、移築されたものです。
書院の中には土佐光起、光成父子の作で、有名な近江八景図、竜田川紅葉図などの襖絵や勧修寺棚と呼ばれる違棚があります。
また庭園は、氷室(ひむろ)の池を中心とする池泉回遊式庭園で、書院前庭には水戸光圀寄進と伝える石灯籠があり、勧修寺型灯籠として知られます。
他にも勧修寺繍帳とも呼ばれる国宝刺繍釈迦如来説法図がありますが、現在は奈良国立博物館に保存されています。

また、このお寺は堀江騒動で両腕を切られた芸者・妻吉が尼となったお寺で、出家されてからは大石順教尼といいました。
口に筆をくわえ、絵や文字などを書かれ、絵は何度も日展に入選しました。高野山の奥の院にお墓があります。

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