小牧IC周辺

今回は沿線案内「名神高速道路編」の最終回となります。

西の兵庫県西宮ICから東へとルートをたどってきましたが、実際には名神高速道路の起点は小牧ICです。

小牧ICには東へと続く東名高速道路が繋がっています。その他、一宮ICと同じように名古屋高速11号小牧線が接続しています。

また小牧ICのすぐそばに小牧山があり、山頂には通称小牧城と呼ばれる建物が立っています。

小牧山

小牧山は標高がわずか85mと大変低い山ですが、広い濃尾平野の中にポツンとひとつありますので、頂からの眺めは大変良く、濃尾平野を見渡す展望台となっています。

その見晴らしの良さを、あの織田信長は見逃しませんでした。小牧山の頂上に小牧城と呼ぶお城を築いて、美濃の国を侵略する拠点としました。

小牧城から当時井ノ口と呼ばれていた岐阜の稲葉山城の情勢をうかがっていた信長は、小牧山に城を築いてから4年後の永禄10年に稲葉山城を攻撃しました。後の豊臣秀吉の大活躍もあって、難攻不落と言われた稲葉山城を落城させ、斉藤龍興を滅ぼしますと、信長は本拠を岐阜に移しましたので、小牧城は廃城となってしまいました。

それから17年たった天正11年、小牧山は再び歴史の舞台に登場します。
天正10年に織田信長が本能寺の変で亡くなりますと、織田家の跡継ぎを誰にするかで、信長の孫・三法師を推す豊臣秀吉と、我こそ後継者だと主張する信長の二男・信雄が対立します。
信長の死後、急激に力を持ってきた秀吉に対して面白くない気持ちを持っていた徳川家康は、信雄を支持することにしました。
そうこうしているうちに、天正12年3月、秀吉側が信雄側の城であった犬山城を攻撃し、城は落城。そこで家康は信雄と連合して戦うことを決意し、小牧山に本陣を置いたのです。

家康・信雄連合軍の兵力は1万数千、対する秀吉の軍勢は10万と、兵力の差は圧倒的に秀吉側が勝っていましたが、小牧山を遠巻きにしたまま秀吉は手を出さず、日々が過ぎていき、結局20日以上も睨み合ったままとなりました。

これを小牧の合戦といいますが、合戦とはいっても戦いとはならず、勝敗はその後長久手に場所を変え、いわゆる長久手の合戦に持ち込まれましたが、結局4月に長久手でたった一回だけ戦いが行われただけで、11月まで睨み合いが続き、最終的には和睦という形に終わりました。

山頂には小牧城と呼ばれる小牧市歴史資料館があります。
昭和43年に名古屋の実業家・平松茂氏が建築寄付された建物で、京都西本願寺にある国宝・飛雲閣をモデルとしています。

小牧市

小牧市は人口約15万人。名神高速道路、東名高速道路、中央自動車道などの高速道路が接続する交通の要衝となっています。

市のほぼ中心に上で紹介した小牧山があります。また市の南部には航空自衛隊小牧基地があります。

昔は静かな村里でしたが、交通の要衝の地として発展し、流通産業などの集まる内陸工業都市として、また名古屋のベッドタウンとして発展を続けています。

小牧という地名の起こりについて、いくつかの説がありますが、一般的には昔、この辺りまで伊勢湾が深く入り込んでいて、船を寄せる時に小牧山を目印に帆を巻いたので「帆巻山」と呼んでいた。その「帆巻山」が訛っていつのまにか「小牧山」となったと言われます。

東名高速道路

東名高速道路は東京ICを起点とし、この小牧ICで終点となる全線346.8キロの高速道路です。
名神高速に続いて、昭和43年に、東京IC-厚木IC、富士IC-静岡IC、岡崎IC-小牧ICが開通し、小牧ICで名神高速道路と接続しました。全線開通は翌年の昭和44年です。
東名、名神は東海道の大動脈として物流の中心幹線道路となっています。そのため交通量は大変多く、事故の発生率も高いため、第二東名、名神の計画、整備がなされていますが、まだまだ長い時間がかかりそうです。

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コメント

  1. kabocha より:

    そうですね。個人で作ったとか、寄付したというお城は元のものとは違うことが多いようです。
    特に小牧城のように、元あったお城がどんなものだったのか、史料が残ってないお城は仕方がないですね。

  2. 三四郎 より:

    小牧城は再建されたものなのは知っていましたが、元々の建物を忠実に再現したのでなく、全く違う建物なんですね(^^;