桑名② ~七里の渡し~

前回からの続き

「歌行燈」で昼食をいただいた後に、「七里の渡し跡」へ行ってみました。
もちろんここへ来る前は、七里の渡し跡がどれくら離れたところにあるのか全く知らなかったのですが、すぐ近くだと聞いて「これは行かなくては」とカメラをぶらさげて急いで向かいました。

「歌行燈」のお店を出て、旧東海道を揖斐川に向かって進むと・・・・・

すぐに見えて来ました!大きな鳥居が!これが伊勢神宮の一の鳥居といわれる鳥居です。(実際の伊勢神宮一の鳥居は伊勢神宮内にあります)
昔はここから船に乗って伊勢神宮に向かったところから一の鳥居と呼ばれるそうです。

ちなみにこの鳥居は、元々伊勢神宮の豊受大神宮(外宮)御正殿の棟持柱だったものです。棟持柱として20年使用され、次に皇大神宮(内宮)の入口、五十鈴川にかかる宇治橋の外側に位置する鳥居として20年使用され、更にその後、この地に運ばれて20年立ち続けるのです。

参考までに内宮御正宮の棟持柱は宇治橋の内側の鳥居になり、その後旧東海道鈴鹿峠の神宮遥拝鳥居となります。しかし宇治橋が架け替えられるようになったのは明治以降とのことです。

もちろん現在は長年の木曽三川改修工事(ここは揖斐川)によって、当時の様子は残っていないはずですが、小さな公園として復元されています。

この七里の渡し跡から少し下流に向かって歩くと、桑名城の三の丸御殿跡地、吉之丸コミュニティパークがあります。桑名城跡である「九華公園」の一部で駐車場にもなっています。ここには本多忠勝公の立派な像が立っていますが、平成2年に建造されたものだそうです。

本多忠勝といえば、徳川四天王の一人で、生涯57回の合戦に出陣しながら無傷であったなど、数々の伝説を持つ徳川家の武将です。功績により関ヶ原の合戦後、桑名10万石を与えられ、この地で63年の生涯を終えました。

忠勝の孫、本多忠刻は徳川家康の孫娘、千姫を妻とし、翌年には姫路に国替えになりました。その後、本多家に変わって松平(久松)が桑名に入城しました。

この後歩いてもそう遠くはない六華苑に向かいます。続きは次回に・・・。

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コメント

  1. kabocha より:

    いいですよねー。歴史の道って。
    さすがに全く様子が変わってしまっていると、どうしようもないですが、完璧な復元された宿場より風情があっていいかもです。

  2. 三四郎 より:

    旧東海道を歩きながら歴史を巡るみたいな感じでいいですね

    偶然か私も先日、豊橋の旧東海道を歩いて二川宿を見に行っておりましたよ