正岡子規

「坂の上の雲」の主人公の一人である正岡子規について少し触れてみたいと思います。
私が言うまでもなく、子規ほどの有名人であれば、事典やwikipediaで詳しく知ることができると思いますが、バスガイド風に広く浅く紹介してみたいと思います。
正岡子規 〔1867年(慶応3)9月17日~1902年(明治35)9月19日〕
子規は本名を常規(つねのり)、幼名を升(のぼる)といい、松山藩士の子として、松山市に生まれました。
6歳の時に父が無くなり、妹・律(りつ)とともに母親の細腕ひとつで育てられました。
母親の父は漢学者で、子規は子供の頃からこのおじいさんについて漢字や漢詩などを教わりました。
松山中学校在学中には、当時松山市にあった文学書はほとんど読み尽くしたと伝えられています。
その後、東京へ出て、一高・東大で学び、1892年(明治25)25歳で日本新聞社に入社した子規は、新聞「日本」に俳句欄を作ってその選者になりました。またそれまでの形式にとらわれた俳句を厳しく批判し、対象をありのままに表現する写生俳句を提唱しました。
日清戦争に従軍記者としてアジア大陸へ渡り、日本へ帰る途中、船の中で喀血してから健康が極度に衰えました。
神戸の病院で療養し、少し良くなりましたので郷里松山へ帰り、当時松山中学校の英語教師をしていた友人夏目漱石の元に身を寄せ、50日余り同じ下宿(愚陀佛庵)で過ごしました。
1897年(明治30)に柳原極堂が松山で発行した俳句雑誌「ホトトギス」を中心に、子規が起こした革新運動は、またたくまに全国に広がりました。
しかし青年時代から重い病気におかされていた子規は、29歳頃からほとんど病床にありました。東京根岸の子規庵で、明治35年9月19日、へちまの盛りに36歳の若さで短い一生を終えました。
子規の残した業績は高く評価され、「近代俳句の父」と呼ばれています。
子規の絶句三句

おとといの へちまの水も とらざりき
へちま咲いて たんのつまりし 仏かな
たん一斗 へちまの水も 間に合わず

【参考】
子規とは「ホトトギス」という意味です。子規は結核を病み、喀血しながら俳句を作る自分を「鳴いて血をはくホトトギス」という言葉になぞらえて「子規」と名乗りました。

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