濃尾平野と赤坂

養老山地を過ぎると濃尾平野の中を走ることになります。

濃尾平野

濃尾平野は、東西約40キロ、南北約45キロ、面積約1800k㎡に及ぶ日本有数の大平野で、木曽川・長良川・揖斐川などによってできた沖積平野です。岐阜・愛知両県にまたがっているところから、旧国名の美濃と尾張の一文字ずつとって濃尾平野と呼ばれます。

3つの川の集まる辺りから下流は、土地が低く、度々水害に見舞われてきました。そのため下流域には輪中が発達し、干拓地も多く見られます。

日本の平野の広さ

日本の平野に関するデータは、正確なものがわかりません。そのためネットや百科事典で調べたものとなりますが、広さの順位は次のようになります。

1位:関東平野 約17000k㎡
2位:石狩平野 約4000k㎡
3位:十勝平野 約3600k㎡
4位:越後平野 約2070k㎡
5位:濃尾平野 約1800k㎡

※数値は出典元によっても違い、また濃尾平野を関東平野に次いで全国2位の広さと表現している文献もありますので、正確な順位ではない場合もあります。

赤坂金生山

濃尾平野に入ってまもなく、左奥に赤肌色の削れた山が見えるところが赤坂金生山です。
標高217mの低い山ですが、石灰岩からなっており、大理石や石灰を大量に産出してきました。
2億~3億5千万年の昔、気の遠くなるような昔に地殻変動で海底が隆起し、金生山が誕生しました。その証拠として、掘り出された岩石の中に含まれる化石は、すべて海の生物の死骸ばかりで、珊瑚、海百合などの植物のような形態をした生物から、二枚貝、巻き貝などの貝の仲間まで何十種類もの古生代の生物が、時の流れを越えて現れています。
山上には化石館や赤坂の虚空蔵さんとして名高い明星輪寺があります。

ここから産出された大理石は大変珍しい色合いで貴重なものです。現在も稼働している矢橋大理石によって国会議事堂建築に金生山の大理石が使われました。
関ヶ原から大垣周辺にかけては数多くの石材会社がありますが、現在加工されている石の大部分は輸入石材です。

また山の麓の赤坂は、めまぐるしく近代化したこの地方の中でなお、街道と宿場の雰囲気を持つ町です。

町の中に小さな丘があり、御勝山と呼ばれ、関ヶ原の合戦の前日、大垣城にこもる石田三成に対し、徳川家康が東軍の本拠として、ここに陣を構えたところです。それまでは岡山と呼ばれていましたが、この時の戦勝を記念して、御勝山と名付けられました。

御首神社

赤坂には平将門を祀る御首神社があります。10世紀の承久の乱で、天下を驚かせた将門の首は京都で晒し首にされましたが、故郷の東国恋しさに、都から空を飛んで帰る途中、南宮大社の神意によって打ち落とされ、この地に落ちたということです。
ここにお参りしますと、首から上の諸病に効き目があるそうです。(特に耳病)

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コメント

  1. 広い平野 より:

    […] 単位:k㎡ 引用元:旅の雑学より […]