長良川

揖斐川に続いて渡るのが、鵜飼いで有名な長良川です。
長良川は清流として知られ、平成6年(1994)に長良川河口堰が完成するまでは、本州で唯一の本流に堰のない川でもありました。

岐阜県の大日岳に源を発し、郡上八幡、美濃市、岐阜市などを経て、河口付近で揖斐川と合流し、伊勢湾に注ぎ込む全長166キロの川です。

名神高速道路で長良川を渡る際、左(北)に見える大きな黒い船のような建物が、三洋電機のソーラーアークで、お天気の良い日には、その右奥に金華山と岐阜城が見えることもあります。

ソーラーアーク

ソーラーアークは、三洋電機が会社設立50周年事業のひとつとして岐阜事業所に建設した太陽光発電施設です。

ソーラーアーク  『写真提供:(社)岐阜県観光連盟』

2001年12月に完成し、2002年4月オープンしました。
21世紀に力強く船出する「箱舟」をイメージし、全体は4本の足だけで支えられており、地上から浮かんだ構造になっています。
全長315m、高さ最高点37.1m(中央部高さ31.6m)。建物の全体が1枚15キロの重さの太陽電池パネルで覆われ、総数5046枚で、最大出力630kw、年間発電量約53万kwhです。

長良川鵜飼

鵜飼は長良川以外にも全国各地で行われていますが、長良川の鵜飼が特に著名で、県内外はもとより国外にもその名を知られています。

鵜飼は毎年5月11日~10月15日までの間で、時刻は大体夜の7時から9時頃まで行われています。

長さ16mの鵜舟に、鵜匠と供乗り(船頭)、中乗り(助手)の3人が乗り込み、鵜匠は12羽の鵜を巧みに操って鮎を捕獲します。

長良川鵜飼  『写真提供:(社)岐阜県観光連盟』

長良川の鵜飼は1300年の歴史があり、その時代時代の権力者に保護されて来ました。しかし明治に入ると保護者を失って生活に困窮し、一時衰退しましたが、明治23年に長良川の川筋に御猟場が3ヶ所設けられた際に、鵜匠達は宮内省主猟寮に属し、現在は宮内庁式部職技術補佐員の職にあって、国家公務員です。
この長良川の鵜匠は岐阜市長良に6人、関市に3人おり、全て世襲制です。

また長良川3ヶ所にある御猟場で行われる年8回の鵜飼を御料鵜飼といい、捕れた鮎は皇居に献上され、また明治神宮や伊勢神宮にも奉納されます。

鵜には、首の周りに一回りして、羽の下から腹にまわした綱がつけられ、鵜匠はこの綱を操りながら、鮎を飲み込んだ鵜を引き上げて篭に吐かせます。

鮎を誘い寄せるため、船端に吊されたかがり火が赤々と川面を照らすと、巧みに綱を操りながら流れ進む様子は勇壮豪華な一巻の絵巻物のようで、見る者を飽きさせない水上のショーでもあります。

鵜飼で一番壮観なのは、総がらみといわれる漁法で、6隻の鵜舟が川幅いっぱいに横に並び、ホウホウとかけ声をかけながら、狩り下る豪壮なものです。(通常鵜飼日では行われません)

またここの鵜は、ほとんどが茨城県日立市の川尻海岸で捕獲された海鵜で、おとりを使っておびき寄せ、小屋に隠れながら鳥もち竿で捕らえるのだそうです。

また働き盛りを過ぎた鵜は、鵜飼の仕事は引退しても鵜匠の元で余生を過ごし、命を全うすると岐阜市内にある「鵜の墓」に葬られるそうです。

鵜に関わる言葉など

  • 鵜の目鷹の目・・・鵜が獲物を探す様子
  • 鵜呑みにする・・・鵜が噛まずに丸呑みすることから、言葉を吟味せずそのまま信用する意味になった
  • うなぎ・・・鵜が飲み込むのに難儀する

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