京都西山と長岡京跡

左側、天王山に続く山並みを京都西山と呼び、50代桓武天皇が、延暦3年(784)11月、奈良より都を遷された長岡京跡があります。

この遷都には反対者も多く、造営師の長官、藤原種継(たねつぐ)が暗殺され、この事件の波紋は大きく広がりました。桓武天皇の同母弟の皇子、早良親王に疑いがかけられて、乙訓寺に幽閉された後、淡路島に流されることになりました。親王は無実を主張し、絶食して、淡路に向かう船の中で亡くなられました。

のち、早良親王の桓武天皇に対する祟りと言われたものが次々と起りました。生母高野新笠(たかのにいがさ)の死、皇后藤原乙牟漏(おとむろ)の死、伊勢神宮の放火、新皇太子病気という不幸が、次々と桓武天皇の身を襲い、ついに延暦13年(794)10月22日、和気清麻呂の案内により、葛野へ新京が遷されたのでした。(平安京のこと)

長岡京には十年間の都の跡が残り、他に法然上人のお墓のある粟野光明寺、西行法師の花の寺、西国20番の善峰寺、柳谷観音、長岡天神などがあります。

また長岡は昔から、孟宗竹が多く、タケノコの産地として知られています。
粘土質の土壌が適しているため、美味しいタケノコが育ちます。
春風が西山の丘にしみこんでくる頃、覆土の下にタケノコが育ち始めます。
タケノコ掘りの鍬は長さが1mほどあり、細い鶴のくちばしのような形をしています。これで根を探り当てます。
朝堀りのものを、その日のうちに料理するのが、美味しくいただける方法です。

のどかな竹林が大きな危機に見舞われたのは、昭和44年の洛西ニュータウンが計画決定された時のことです。
高名な上田弘一郎先生が抵抗しまして、カナゲ山約12haをやっと守ることができましたが、200ha40万本を超す竹林が消えました。
上田教授らの運動がきっかけで、ニュータウン内には、竹の博物館ともいえる、「竹林公園」が誕生しました。

「竹林公園」 入園無料 ⇒ 公式ホームページ 竹林公園

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