近江八幡

名神高速道路竜王ICを過ぎると、辺り一帯広々とした江州平野に出ます。左手琵琶湖に近いところに近江八幡市が広がり、天気の良い日には高速道路から八幡山を見ることができます。
けっして派手な観光地ではありませんが、関西からは日帰り観光地として古くから親しまれているところです。この近江八幡周辺にスポットを当ててみたいと思います。

近江八幡市

近江八幡市(おうみはちまんし)は2010年3月21日、旧近江八幡市と安土町が合併して、新しい近江八幡市となりました。人口約81,000人の琵琶湖東岸に位置する町です。

豊臣秀吉の甥、豊臣秀次によって築かれた八幡城の城下町が元となり、商業都市として発展しました。近江商人発祥の地として知られます。

市の北東部の西の湖周辺は水郷地帯となっており、「安土八幡の水郷」として琵琶湖八景の一つに数えられています。琵琶湖に浮かぶ沖島は、琵琶湖最大の島で、淡水域の有人島として世界的にも珍しい存在です。

八幡山

八幡山と近江八幡市街地(滋賀県提供)

八幡山は豊臣秀次が秀吉の命で八幡城を築いたところです。安土城が滅んだ直後でしたので、安土の城下町をそのまま八幡へ移し、楽市・楽座の制をしきました。今日も碁盤の目のような町並みが残り、町名にも本町、池田町、鉄砲町、鍛治屋町などがあり、城下町の名残をとどめています。

後、茶々(淀の方)が生んだ秀吉の子、鶴松が3歳で亡くなりましたので、秀吉は甥の秀次に関白職を譲り、自分は太閤と名乗りました。しかし茶々に2番目の男子、秀頼が生まれると、秀吉は秀次を養子にし関白職を譲ったことを後悔し始めました。秀吉は秀次に乱心の汚名を着せ、高野山に送り切腹させました。秀次の後、京極高次が入城しますが、間もなく廃城になりました。
我が子を切腹されられた秀吉の姉、智子は京都で頭を丸めて日秀尼と名乗り、息子秀吉の菩提を弔いました。その瑞龍寺は村雲御所と呼ばれ、昭和36年に京都より八幡山の頂上に移されています。
山上へはロープウェイが通じており、琵琶湖や対岸の比良山系の眺望が素晴らしいところです。
※八幡山ロープウェイ・・・年中無休、大人往復800円。

瑞龍寺(滋賀県提供)

八幡堀散策マップ(近江鉄道)

日牟礼八幡宮

八幡山の麓に日牟礼八幡宮があります。源頼朝が佐々木定綱に命じて造営されたもので、祭神は応神天皇です。
3月13日から15日にかけての「左義長祭」が有名です。
(安南貿易で活躍した西村太郎右衛門寄進の絵馬あり)

メンソレータム(メンターム)

家庭薬でお馴染みのメンソレータムは、近江八幡で誕生しました。明治38年アメリカ人、ウィリアム・メレル・ヴォーリス(帰化して一柳米来留)が滋賀県立商業学校(現八幡商業高校)へ英語教師としてアメリカから来日し、キリスト教の伝道を行うかたわら、アメリカの家庭薬メンソレータムを製造したのです。

【参考】
元々メンソレータムはアメリカのメンソレータム社の製造する製品でした。ヴォーリスは日本での販売権を得、これを近江兄弟社から「メンソレータム」として販売しました。後、近江兄弟社は倒産し、ロート製薬がメンソレータム社から販売権を得、さらにメンソレータム社も買収しました。近江兄弟社は再興されましたが、この時点でメンソレータムの商品名を使うことができなくなっていたため、メンタームの名前で販売するようになったのです。
現在も近江兄弟社メンタームはメンソレータムとは別の商品として存在します。

ウィリアム・メレル・ヴォーリス

近江兄弟社をつくったヴォーリスは1880年(明治13年)にアメリカで生まれ、1905年八幡商業高校の英語教師として来日、キリスト教伝導につとめた人物であり、また日本に数多くの西洋建築物を残した建築家でもあります。さらに紹介したように近江兄弟社を作って、メンソレータムを日本に普及させた実業家でもありました。
1941年日本に帰化し、夫人の一柳満喜子の姓をとって一柳米来留と名乗りました。
近江商人発祥の地であるこの八幡を拠点に活動したことから「青い目の近江商人」と呼ばれたり、またマッカーサーと近衛文麿の仲介に一役買ったことから「天皇を守ったアメリカ人」と言われたこともあったそうです。
1964年(昭和39年)近江八幡の自邸にて永眠。83歳でした。

水郷めぐりと八幡堀

近江八幡の基礎を作った豊臣秀吉は、城下から西の湖を経て琵琶湖に通じる八幡堀を開削しました。八幡城は廃城となりましたが、町はその後も残り、近江商人たちはこの八幡堀の地の利を活かして商売を続けました。旧八幡城下と琵琶湖を結ぶ八幡堀は幅15m、長さ6キロに及び、堀沿いには白壁の土蔵や旧家が建ち並び、「八幡伝統的建造物群保存地区」となっています。

八幡堀(滋賀県提供)

西の湖の周辺は湿性地となっており、ヨシ(葦)が広く茂っています。これらの湿性植物を加工した畳表、上布、蚊帳は近江商人が扱った商品の中心でもありました。この湿性植物の生い茂る水路を船で遊覧するのが水郷めぐりです。

水郷めぐりと八幡堀めぐりは別の船ですのでご注意ください。水郷めぐりは現在3社で運行されており、手こぎの船とエンジン船の違いもあります。また水郷めぐりは琵琶湖めぐりでも八幡堀めぐりでもなく、何の派手さもありません。急流下りのスリルもありません。水郷には空とヨシと水鳥など自然の風景がそのままあるだけです。しかし、この独特の景観には他には無い良さがあります。時代劇の中に出てきそうな特別な雰囲気があります。

水郷めぐり(滋賀県提供)

八幡堀めぐりと水郷めぐりの違いや料金については近江八幡観光物産協会のページをご覧ください。
※近江商人については別の記事で紹介します。

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