大津市

大津市は滋賀県の県庁所在地で、人口約33万人の都市です。滋賀県の中心というよりも、京都市の衛星都市といった性格が強いため、なかなかメジャーになれないところです。

さざ波や 滋賀の都は荒れにしを 昔ながらの山桜かな」と詠まれた、この地は古く、大津京のあったところです。

滋賀の里と呼ばれていた、この地が大津と言われるようになったのは、天智天皇が大津宮を造られてからです。遷都から4年後、天智天皇崩御のあと、再び都は飛鳥の地に戻ってしまいましたが、大津の名は現在まで続いています。

比叡山の門前町である坂本や、琵琶湖交易の要所であった堅田を中心に、鎌倉時代より、この地は交通、商業の要所として栄え、のち戦国時代には、浅野長政の大津城、明智光秀の坂本城などが建てられ、城下町として、商業都市の基礎が作られました。

江戸時代には、東海道53番目の宿場、大津宿を中心に、膳所藩の城下町として発展しました。

明治3年、滋賀県の県庁がおかれ、同31年に市政が敷かれ、滋賀県第一の都市となりました。

大津市には、世界遺産である比叡山や、三井寺、石山寺、日吉大社といった神社仏閣が多く存在します。
また雄琴温泉をはじめ、大津温泉などの温泉場もあります。

そのほか、琵琶湖上のレジャーの中心地で、ミシガン、ビアンカなどのクルーズ船や、ヨットハーバーといった施設も超充実です。

大津IC周辺の紹介

大津ICから琵琶湖岸に出た辺りを膳所(ぜぜ)と言います。寿永3年正月、源範頼と義経の軍に攻められた、木曾義仲は今井兼平とただ二騎、敵陣をのがれて、この辺りまで参りましたが、後を追ってきた源勢に力尽きてついに討たれたところです。

のち徳川時代、本多家の城下町となり、「瀬田の唐橋 からかね擬宝珠 水にうつるは膳所の城」と、東海道を上り下りする人々に親しまれ、美しいお城は草津からでも眺められたと言います。

膳所の湖岸は、粟津の晴嵐といわれ、青松が水際を彩り、吹く風もさわやかな近江八景の一名所でしたが、今は工場地帯と化して、昔の面影はありません。

膳の所と書いて「ぜぜ」と読むのは、昔大津京があった頃、ここが調理所であったためと言われます。

義仲寺

粟津ヶ原には、上で紹介した、源氏一門の戦いに敗れた木曾義仲と家来の今井兼平のお墓のある義仲寺があります。

寺内には、俳聖松尾芭蕉のお墓もあります。
元禄7年10月12日、大阪で没した芭蕉の遺言が、琵琶湖畔に葬ってほしいということでしたので、弟子たちが、このお寺に墓石を建てたのです。自然石の小さなもので、俳人らしく慎ましやかです。

境内には26基の句碑が所狭しと並んでおり、中でも「木曽殿と 背中合わせの 寒さかな」の伊勢の俳人又玄の句は有名です。

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