関ヶ原

伊吹山の麓を通り抜け、いよいよ名神高速道路の旅も岐阜県に入っていきます。

県境のトンネルはその名も関ヶ原トンネルで、そのすぐ先に今須トンネルと2つのトンネルを抜けて行きます。

今須トンネルのある山の左の方に、不破の関跡があります。近江路は平安期を迎えて旅人が増え、ここに関所を設けました。すでに伊勢への鈴鹿の関、美濃への不破の関、越前への愛発(あらち)の関がありましたが、延暦8年(789)に一時廃止となっていました。弘仁元年(810)に再び関所が設けられ、これ以降三関というと、愛発を除いて逢坂の関鈴鹿の関不破の関のことを指すようになりました。
交通軍事上の要衝の地として、事の起こる度に兵がここを固めました。

松尾芭蕉も 「秋風や やぶも畑も 不破の関」と詠んでいます。

関ヶ原町

岐阜県に入って一番最初の町は関ヶ原町です。日本のほぼ中央にある岐阜県の西端に位置し、北に伊吹山、南に霊仙山をひかえた小さな山峡の町です。

無かhしから東西交通の要所となり、中山道が東西に走り、南北に伊勢街道、北国街道と主要海道がここに集まり、上に紹介した不破の関所も置かれました。

街並みはこれらの街道に沿って、薄暗いすすけたような軒を連ね。天下を分けた有名な関ヶ原の古戦場跡は町の全体にわたっており、諸将の陣所跡や決戦場に石標が立てられています。

関東・関西の境目

昔、関ヶ原は関東、関西の分かれ目でした。かつてここにあった不破の関は旅人の往来が多く、旅人達はこの関所を通過すると関の西で関西と呼び、また反対に 東へは関東と呼びました。

関が原は山峡の地ではありますが、東海道新幹線、東海道本線、国道21号線、名神高速道路といった主要交通機関が集まっています。これは昔も同じで、日本海と太平洋の間には伊吹山地や養老山地があり、その間の関ヶ原は谷間になっています。このため峠らしい峠もなく旅人にとって一番通りやすいルートだったのです。

時代の流れとともに境界は移動し、また関東・関西という言葉は一部の地域を指す言葉に変化していきましたが、元の語源はここにありました。

地理的には関東関西の境目ではなくなった関ヶ原ですが、食べ物や習慣に関しては今でも境界にあたるものがいくつかあります。

ずっと昔テレビで見たことですが、うどん、そばの「つゆ」はよく関東風・関西風といいますが、その境目は関が原だというのです。テレビ局のアナウンサーが東名高速を西に向かって全てのサービスエリアのうどん、そばを調べ、養老SAの「つゆ」が関東風でその西の多賀SAが関西風ということを確認し、一般国道でも調べ上げたというものでした。正確に関が原が境目かどうかは難しいところですが、この辺りというのは間違いないです。他にもいなりずしの形がこの辺りを境に関東風・関西風とわかれるそうです。(アゲの切り方が関東は四角に、関西は三角に切る)

他にはお正月に食べるお雑煮に入れるお餅の形です。これは滋賀県から西は主に丸餅を使いますが、関が原から東に向かっての近郊では、家によって丸餅を使うところもあれば四角(切り餅)を使うところもあって、バラつきがあるのですが、東に向かって進むうちに段々と切り餅が主流になっていくのです。(もちろん例外はあります⇒たとえば四国では何故か高知県だけ切り餅を使う)

うなぎの開き方は関東が背開き、関西が腹開きというのはよく知られていますが、これは愛知県のあたりで分かれるそうです。(三河地区は背開き、尾張地区は腹開き)

ちなみにカップ麺でも同じ商品でありながら、関東と関西で味付けが違っているものがいくつかあります。これは企業によって微妙に違いますし、細かく地域をわけて微妙に味の違う商品にしているものがあるそうです。(赤いきつねなど)

(この話は旧旅の雑学でも紹介しました)

次回は関ヶ原の合戦について紹介します。

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