三島郡島本町

高槻バス停を過ぎると、大きな案内標識が出てきます。この先名神高速道路は、右ルート、左ルートに分かれます。2つに分かれたルートは、梶原トンネル、天王山トンネルを抜けて京都府に入り、京滋バイパスの分岐を過ぎた先で、再び合流します。

どちらを通っても変わりありませんが、どちらかというと左ルートを通ることをお薦めします。名神高速の拡幅工事の結果、トンネルが上り下りに1つずつ追加されたのですが、上り線では左ルートが新しいトンネルですので、多少車が多い時でも、左ルートの方が走りやすいからです。また京滋バイパスに入る場合は、必ず左ルートを通らなければなりません。右ルートからは入れないので注意してください。左ルートへは3車線あるうちの一番左車線からしか入れないです。
特に渋滞している時は、名神本線を行くべきか、京滋バイパスに入るか悩む前に、とりあえず左ルートを通っておくべきです。80%の確率で左ルートの方が早いです。(上り線のみ)

梶原トンネルを抜けると、大阪府最後の町、島本町に入ります。
島本町のカントリーサインは楠木正成、正行親子の「桜井の別れ」のシーンです。

このあたりはかつて、桜井の里と呼ばれていました。
延元元年5月、南朝の忠臣楠木正成は、朝敵足利尊氏を迎え撃つために、兵庫の湊川に赴く途中、この度の戦いが勝ち目の無いことを悟り、河内の国から我が子正行を呼び寄せて、生別、死別の別れを惜しんだところです。

昔は、子別れの松というのがあり、明治天皇に

子別れの松のしずくに 袖ぬれて 昔をしのぶ桜井の里

と詠われました。

青葉しげれる桜井の~~♪と大変古い歌ですが、「大楠公(桜井の別れ)」の歌を歌うと、年配のお客様は一緒に歌ってくれたものでした。YouTubeにありましたので、貼り付けておきます。

名神高速道路の拡幅工事が行われる前には、ここに桜井パーキングエリアという小さな休憩所がありましたが、現在は見る影もありません。
下り線のPAから本線合流の隙間に待宵の墓というのがありました。
待宵は平安時代の女流歌人、紫式部に仕えた女性で、舞の名人だったそうですが、この人のお墓はどこにいったんでしょう・・・。(ネットで検索してみたら、どうやら近くの別の場所に移されたようです)

三島郡島本町

人口約29,000人。京都府大山崎町と隣接し、桂川・宇治川・木津川が合流して淀川となる場所にあり、京都盆地から大阪平野へ抜ける交通の要衝として古くから栄えました。大阪・京都の中間で交通の便もよく、ベッドタウンとして発展しています。

水無瀬地区は、古くより景色の美しさから万葉集に詠まれ、和歌に詠われてきたところです。また後鳥羽上皇に愛され、度々の行幸に、離宮まで営まれました。その離宮跡が現在の水無瀬神宮です。

桜井地区は先に紹介したように、「桜井の別れ」の地として「太平記」にも登場します。
その他、豊臣秀吉と明智光秀の山崎の合戦の古戦場としても知られます。

またこの島本町には、サントリーの山崎蒸留所があります。
高速道路からは天王山トンネルに入る手前で、左上(北)にサントリー研究所がチラリと見えます。

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